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謎が謎を呼ぶ!? サスペンス・ミステリー漫画ランキング

MangaStyle恒例企画の漫画ランキング。今回は
「謎が謎を呼ぶ!? サスペンス・ミステリー漫画ランキング」です。

それでは、どうぞ!

ランキングデータ提供:まんが王国

 

  • 復讐教室

    1位: 復讐教室

    クラスで酷いイジメに遭っていた中学3年生の藤沢彩菜は、ある決意をした…。
    「クラスメイト全員に、私と同じ“地獄”の苦しみを味わわせてやる――――」

    見え隠れするイジメの首謀者。黒幕は親友なのか、それとも……全員狩るまで終わらない――28人のクラスメイトへの命がけの復讐が始まった。

  • 17歳。

    2位: 17歳。

    1988年に起こった「女子高生コンクリート詰め殺人事件」!
    なんと加害者は、17歳の少年たちだった―――!

    なぜ事件は起きたのか?
    なぜ誰も防げなかったのか?
    <命の意味>を問い掛ける衝撃の問題作!

  • 今際の国のアリス

    3位: 今際の国のアリス

    理不尽な「げぇむ」を生き延びろ!

    やりきれない日常に苛立つ高校生・有栖(アリス)良平が悪友の苅部(カルベ)や張太(チョータ)とブラつく夜、街は突然巨大な花火に包まれ、気づけば周囲の人気は消えていた。
    夜、ふらりと入った神社で告げられる「げぇむ」の始まり。
    一歩誤れば命が奪われる理不尽な難題の数々を前に、アリスの眠っていた能力が目覚め始める…

    「呪法解禁!!ハイド&クローサー」の麻生羽呂が全くスタイルを変えて挑む戦慄のサバイバル・サスペンス、開幕!



 

2014年上半期 人気恋愛漫画ランキングTOP10

早い場所ではそろそろ梅雨が明け、夏がきていることでしょう。
夏と言えば青春の季節、恋愛真っ盛りの時期が近づいています。

しっかりとした恋をするためには予習も大切。
ということで上半期の恋愛漫画で復習して、今年は更に熱い夏にしましょう!

                                                                       ランキングデータ提供:まんが王国

スーパーゼウス、ヘッドロココ……原画を通してよみがえる収集の日々 「ビックリマン原画展」開催中

初見で「集めたい」の魔法にかけられたビックリマンのイラストの魅力を、モノクロの線画でより堪能しよう。

誰もが拝み倒した「スーパーゼウス」の線画……!

誰もが拝み倒した「スーパーゼウス」の線画……!


スーパーゼウスヘッドロココ、スーパーデビル……子供時代にあんなに欲しかったビックリマンシールのヘッドたち。その原画を会場で見ていると、シールで感じられたあの手描きのぬくもりが、サインペンの濃淡やホワイトの修正跡などでより強く伝わってくる。

シールのおまけ付きでおなじみ「ビックリマン」の「天使VS悪魔シリーズ」誕生30周年を記念した「ビックリマン原画展」が、8月21~8月31日に渋谷パルコパート1のギャラリーXで開催中だ。

1977年の「ビックリマン」発売以降、21代目までシリーズ交代を続けてきたビックリマンシールの中でも、1985年から90年初頭にブームを巻き起こした10代目にあたる「悪魔VS天使シール」シリーズの代表的原画が71点展示されている。

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洗練されたモノクロの線画が並ぶ

洗練されたモノクロの線画が並ぶ


原画は同シリーズの絵を85年から以来描き続けてきたグリーンハウスの米澤稔と兵藤聡司によるモノクロ線画が51点、カラー原画が20点。原画が入った額の下には、イラストのシールの現物が表面と裏面で1枚ずつ飾られている。

ブームの火付け役「聖魔対戦編」の魔肖ネロ(左)とヘッドロココ(右)

ブームの火付け役「聖魔対戦編」の魔肖ネロ(左)とヘッドロココ(右)


シールのラインナップは、「悪魔VS天使シール」第1~31弾のヘッドシールが中心。「聖魔対戦編」(第1~12弾)のスーパーゼウスや魔肖ネロ、「次界争奪編」(第13~19弾)のアンドロココやマリア・ショウ、「マルコ激闘編」(第20~25弾)のアレキ・サンマルコやB・Z・H、「パンゲラシー編」(第26~31弾)のスサノオロ士などだ。なおヘッドシールは各弾の中でも数枚しか存在しないレア物だったため、当時の子どもたちは手に入れようと躍起になった。

「次界争奪編」のアンドロココ(左)や「パンゲラシー編」のスサノオロ士(右)

「次界争奪編」のアンドロココ(左)や「パンゲラシー編」のスサノオロ士(右)

 

モノクロ線画に色を加えたカラー原画も。左は第18弾のメイドン幻使

モノクロ線画に色を加えたカラー原画も。左は第18弾のメイドン幻使


ヘッドだけでなく天使、悪魔、お守りシールの原画もあり、十字架天使やプッチー・オリンなど、各アニメシリーズのヒロインといったおなじみのキャラの原画もばっちり網羅。シール収集だけでなく、テレビにもかじりついていた当時のビックリマンファンなら胸をときめかせるものばかりだろう。

第1弾の十字架天使(左)や第19弾のプッチー・オリン(右)など、ヘッド以外のキャラの原画も多数展示

第1弾の十字架天使(左)や第19弾のプッチー・オリン(右)など、ヘッド以外のキャラの原画も多数展示

線画を観察すると、ビックリマンシール独特の馴染みやすい雰囲気が色濃く感じられておもしろい。米澤は現在にいたるまで、線画を普通の文具店で売っているサインペンで描いてきた。スーパーゼウスの胸に描かれた「金」マークをよーく見ると、黒の塗りつぶしにムラがある。シャーマンカーンには、「シャーマンカーン」の文字を入れるスペースのレイアウト線が鉛筆で残っている。

スーパーゼウスの胸部(左)、文字のレイアウト線が見れるシャーマンカーン(右)

スーパーゼウスの胸部(左)、文字のレイアウト線が見れるシャーマンカーン(右)


こうしたビックリマンシールの手描きで生み出されていたことが感じられる箇所を見つけるたび、初見で欲しくなったあのシールの馴染みやすさの原因が分かったような気がしてくる。

筆者は1988年生まれで初期のブームは体験していない。それでも小学校6年生のとき何気なく買った14代目「ビックリマン2000」シリーズで、「大トロ」というヘッドでもなんでもない天使のイラストを見てビビッと来てしまい、一人で黙々とビックリマン2000を買い続けたのだった。高校3年生の受験シーズン、なぜか学校の友達と3人で17代目「ビックリマンひかり伝」にハマって、復刻版の「笑天師」のシールを見て「なんじゃこのキャラ」と笑いあった。

なぜあれほどビックリマンシールは魅力的だったのか。手描き感あふれる原画に触れてその理由に納得しながら、いろんな思い出がよみがえってきた。初期のブームを体感していない僕ですらこうなのだから、リアルに集めていた世代にとってはなおさら感動が大きいかもしれない。米澤の来場者へのコメントにあった「手描きならではの雰囲気やパワー。それこそがビックリマンの原点だと思っています」という一言に大きくうなずく。

原画だけでなくシールの現物も、ヘッド・天使・悪魔・お守りに分けて数多く展示。持ち帰りたくなる気持ちはわかりますが抑えてください!

原画だけでなくシールの現物も、ヘッド・天使・悪魔・お守りに分けて数多く展示。持ち帰りたくなる気持ちはわかりますが抑えてください!

 

ビックリマン好きな有名人たちからのサインも!

ビックリマン好きな有名人たちからのサインも!


ほかにもビックリマンのファンだという有名人のサインも19点展示。「ビックリマンチョコお年玉で箱買いしてました!!」のメッセージもある横浜F・マリノス中澤佑二をはじめ、お笑い芸人の東野幸治、プロボクサーの内藤大助などのサインを見ると、ビックリマンシールは子どもたちの心を幅広く掴んでいたことがうかがえる。

「北斗のマン」としてビックリマンとコラボした『「北斗の拳』」の原哲夫(左)、中澤佑二(右)のサイン

「北斗のマン」としてビックリマンとコラボした『「北斗の拳』」の原哲夫(左)、中澤佑二(右)のサイン


特に目を引くのがイラストレーター・中村佑介によるトリビュートイラスト。ヘッドロココを中村ならではの画風で描いており、右下にはコメントをシールの裏面風に記すなど芸が細かすぎる。

気合い入りすぎ! これも商品化してーー!!

気合い入りすぎ! これも商品化してーー!!


原画展に際して中村はTwitterでもヘッドロココの絵についてコメントし、「この線の少なさ、太さで、かつ2頭身で、美青年を描き切るスキル、今見ても溜息ものです。今から20年以上前の作品だとはとても思えません」と敬服。1月にもビックリマンのイラストの魅力について語り、そのツイート群はtogetterにまとまっているので、予習すると原画をより一層楽しめるだろう。

1985年の発売当時から現存するビックリマンチョコも展示中。中身の状態はさておき、30円時代の小さなサイズに出会えるぞ

1985年の発売当時から現存するビックリマンチョコも展示中。中身の状態はさておき、30円時代の小さなサイズに出会えるぞ

クリアファイルやバインダー、トートバックにTシャツなど、物販も充実

 

クリアファイルやバインダー、トートバックにTシャツなど、物販も充実

さらにはシークレットもある缶バッチ(左)とキーホルダー(右)のガチャガチャも場内でできる!ああ、収集癖がここでも爆発しそう……

 

そしてこちらが今回発売となった「ビックリマン原画大全」の限定特装版(左)と通常版(右)

そしてこちらが今回発売となった「ビックリマン原画大全」の限定特装版(左)と通常版(右)

 

高精度の印刷で生原画の質感をそのまま再現

高精度の印刷で生原画の質感をそのまま再現


また30周年を記念して、本展で飾られたものも含む500点以上の原画を収録した本「ビックリマン原画大全」(4000円)も全国で発売。これをスーパーゼウスのシール風のスリーブに収めた限定特装版(5000円)も原画展の会場限定で販売している。さまざまなビックリマングッズと合わせて買い求めたいところだ。

会場限定販売の特装版は、スーパーゼウス風のスリーブケース入り

会場限定販売の特装版は、スーパーゼウス風のスリーブケース入り

 

帰るときは、スーパーゼウスのパネルと一緒にビックリマンシール風の写真を撮ることを忘れずに!

帰るときは、スーパーゼウスのパネルと一緒にビックリマンシール風の写真を撮ることを忘れずに!


日本各地のビックリマンファンにとっては全国巡回を切望するであろう本展。ビックリマンへの愛は、天使と悪魔の戦いのように終わることはない。ぼくも1つお願いしていいですか? 「ビックリマン2000」展もやってくださーい(土下座)。

コミックマーケットはやっぱり凄い!来場者の実情がわかるインフォグラフィックスを制作、CCで公開!

広く一般にも認知されるようになり、多様なジャンルの作品が出展され、多くの人が集まるようになったコミックマーケット
どのくらいの人がどこからきて、彼ら/彼女らはどういった属性を持っているのか、ドコモ・インサイトマーケティングの「モバイル空間統計」
および角川アスキー総合研究所の「メディア・ライフスタイル調査2014」 によって、分析した結果がまとめられました。




コミケ当日の日中、都内で最も人口が集まるのは東京ビッグサイト


昨年12月29日~31日の「コミックマーケット85」の例では、12月29日午前11時の時点で、都内で最も人口が多いのは東京ビッグサイトだった(新宿の3倍以上)。
一方で、同日でも夜になると、ビッグサイト周辺からはほとんど人がいなくなり、新宿や池袋といった繁華街に人が集中(ビッグサイトから新宿に移動しているわけではない)。それが翌日になると、再びビッグサイトに非常に多くの人が集まってくる。

【3日間のうち、初日は男女拮抗も、2日目以降男性比が増加】


同じく「コミックマーケット85」の例では、初日、12月29日の男女比はほぼ同数だったのが、30日、31日になるにつれて、女性が減少し、男性比率が非常に高くなった(全体の男女比とは異なる可能性あり)。
3日間に出展するサークルの構成、ジャンル等によって、こういった現象が起きていることが想像できる。

コミケ女子に特徴アリ! ガラケー、ニコ動、カラオケ(アニソン)好き】


コミックマーケットに参加している20代男女を、一般の20代男女と比較・分析すると、かなり異なる部分があることがわかった。とくにコミケ女子(コミケに参加する20代女性)は、意外とガラケー率が高い、男子と同等にネット動画、とくにニコ動を鑑賞する、
ディズニーランドが嫌いなわけではないが、むしろカラオケ(アニメ主題歌を歌う)や図書館が好きなどといった傾向が見られる。

インフォグラフィックスは以下のURLからシェア、ダウンロードできます。
http://www.lab-kadokawa.com/img/comiketgraph.jpg

 

「最初で最後の大原画展―IKKI TO THE NEXT STAGE!!―」レポート

「才能の孵卵器」月刊IKKIの成し遂げたこと

大原画展の会場には、創刊から最近までの雑誌がずらりとならんだ

大原画展の会場には、創刊から最近までの雑誌がずらりとならんだ


夏休みも終わりに近づいた8月24日、秋田県横手市の増田まんが美術館で「最初で最後の大原画展―IKKI TO THE NEXT STAGE!!―」に関連し、トークイベント「IKKI史を語ろう」が開催された。原画展に関連した4度目のトーク&サイン会で、月刊IKKI編集部のメンバーのほか、マンガ家の日本橋ヨヲコ先生やオノ・ナツメ先生が登壇した。

最初で最後の大文化祭、開催

「最初で最後の大原画展―IKKI TO THE NEXT STAGE!!―」は、IKKIの休刊前に開催となった原画展。50作品900枚の原画でIKKIの創刊から現在までを振り返るもの。 会場になった「増田まんが美術館」は『釣りキチ三平』などを手がけた横手市出身のマンガ家、矢口高雄先生に関する常設展を持つ。「月刊IKKI」との縁は、2013年に「魂の道程―土田世紀回顧展」を手がけたことだ。休刊前にぜひ原画展をやりたいと美術館側から編集部に持ちかけて実現した。

900枚の原画は「ここまで来てよかった!」を感じさせるボリューム

900枚の原画は「ここまで来てよかった!」を感じさせるボリューム

 

なんと幻の「誌名緊急公募企画」があったとは

なんと幻の「誌名緊急公募企画」があったとは


入ってすぐに来場者を迎えるのは、ボツになった「雑誌名公募企画」の告知だ。雑誌名は通常、編集部内で決めることが多いもの。創刊から今まで、「編集長の一日書店店長」など様々なユニーク企画で読者を楽しませてきたIKKIだが、雑誌名まで公募しようとしていたのには驚きだ。

当時編集部では、雑誌名を公募しようとする案があったもよう。連載陣の名前が表紙に並ぶが、その後表紙を飾るようなキャラクターはまだいなかったのだろう。エッジの効いたイラストが表紙に使われている。

表紙のデザインは「祖父江慎+コズフィッシュ」。「IKKI」という言葉に様々な意味がこめられていたことがわかる。

表紙のデザインは「祖父江慎+コズフィッシュ」。「IKKI」という言葉に様々な意味がこめられていたことがわかる。

 

会場を飾る垂れ幕。キャッチフレーズからも、新しいことに取り組もうとする姿勢がうかがえる。

会場を飾る垂れ幕。キャッチフレーズからも、新しいことに取り組もうとする姿勢がうかがえる。


そもそもIKKIには、どんな作品が掲載されていたのだろうか。美術館は、創刊から最新号までの全雑誌を調べ、一覧の年表にまとめてくれた。

創刊直後の2001年、すでに日本橋先生の名前が

いつどの作品が始まり終わったのかが一覧に


創刊から今まで続いているのはどの作品か、あの有名な作品はいつ始まったのか――毎月雑誌を読んでいるだけではなかなかわからない全体像がまとまっていた。同じ年に掲載されていたのはどの作品なのか、いつまで連載が続いたのかを確認するため、年表の前を何度も行ったりきたりすることになった。
年表の一番下に書かれていたのは、江上英樹編集長の「思い出ホロホロ」。創刊の感動から、黒字化の達成、そして東日本大震災の衝撃と、江上編集長がその時々で感じたことを一言でまとめてある。ちなみにIKKIが単年度黒字化を達成したのは、2006年とのこと。改めてマンガ雑誌の黒字化の難しさを実感した。

創刊直後の2001年、すでに日本橋先生の名前が

創刊直後の2001年、すでに日本橋先生の名前が

 

松本大洋に始まり、松本大洋で終わる

展示は基本的に、各原画に作品解説や担当編集のコメントが添えられた形で構成されていた。入り口から順番にみていくと、創刊時から最新の挑戦的作品までを振り返る旅ができた。

まずは松本大洋先生の『ナンバー吾』からスタート。カラー原画の色使い、絵を構成する線の流れにうっとりする

まずは松本大洋先生の『ナンバー吾』からスタート。カラー原画の色使い、絵を構成する線の流れにうっとりする

 

会場の壁ほぼ全面に「これでもか」と原画類が並ぶぜいたくさ

会場の壁ほぼ全面に「これでもか」と原画類が並ぶぜいたくさ


日本橋ヨヲコ先生は、早くから手描きとデジタル機器を使った作画を組み合わせていたため、全部が手描きの原画は貴重だ。単行本のカラーイラストと一緒に展示されていたのは、主要人物である堺田町蔵と長谷川鉄男の出会いを描いたシーン。「扉が開かれた」シーンを目の当たりにすることでタイトルの意味がやっとわかり、涙が出てきた。

オノ先生の連載中の作品『ふたがしら』。一部カラーがうれしい。『さらい屋五葉』と比べると微妙に絵柄が違うことに気がつく

オノ先生の連載中の作品『ふたがしら』。一部カラーがうれしい。『さらい屋五葉』と比べると微妙に絵柄が違うことに気がつく

 

岩岡ヒサエ先生の『土星マンション』。隣には短編作品『クマと健太の楽しい苦行』の展示もあり、作風の違いを楽しめた

岩岡ヒサエ先生の『土星マンション』。隣には短編作品『クマと健太の楽しい苦行』の展示もあり、作風の違いを楽しめた


どの話の原画を展示するかは、作品によって違っていた。多くはまるごと第1話などを展示していたが、1話読みきり型の作品では、作品を象徴するようなエピソードを展示しており、より作品に対する深い理解につながったと思う。
例えば『すみれファンファーレ』が取り上げたのは、主人公のすみれが離婚して遠くに暮らしている父親に会いに行くエピソード。『すみれファンファーレ』の作品の中でも、大人の姿がよく描かれている話でもある。担当編集のコメントにもあったように、同作品が単なる子どもの姿を描いた作品ではなく、同時に子どもの目から見た大人の姿も鋭く描いたものであることを象徴している。
同じく『金魚屋古書店』が取り上げたのは、主要キャラクターの一人が大型書店でアルバイトをする話。毎日多くの新刊が発売され新刊書店に並ぶ様子が「川」に例えられ、大型書店と中小書店の配本の違い、その中での古書店の意味など現在のマンガ出版・販売の現状を暖かい目で鋭く捉えたエピソードだと思う。原画展で並ぶ作品の中にはすでに新刊書店では手に入れるのが難しいものも少なくない。IKKI発の作品がどこに流れていくのか、どこで読者と出会うのかを思いながら読むと、感慨深いものがあった。

展示の最後を飾った松本大洋先生の『Sunny』。『ナンバー吾』に比べより線がやわらかくなっているように思えた

展示の最後を飾った松本大洋先生の『Sunny』。『ナンバー吾』に比べより線がやわらかくなっているように思えた

 

あらゆる画風・テーマを受け入れ

奇しくも展示は、松本大洋先生の『ナンバー吾』で始まり、同じく松本先生の『Sunny』で終わっていた。もちろん創刊時からいままで、ずっと「IKKI」が松本先生一色だったわけではない。
多くの主な連載作家の原画が並ぶことで見えてくるのは、絵柄の雰囲気や描くテーマのふれ幅の広さだ。同じ人間の顔が描かれたときでも、松本大洋岩岡ヒサエ、さらには、『放課後のカリスマ』のスエカネクミコ各先生では、顔の形、目の表情、体の大きさとどれをとっても千差万別――こんな当たり前のことを、改めて実感させてくれた。

「IKKI COMIX」の表紙を見ているだけでその多様さがわかる

IKKI COMIX」の表紙を見ているだけでその多様さがわかる


年表や単行本をみていると、原一雄先生の『のらみみ』、ビブオ先生の『シャンハイチャーリー』など「これもIKKIだったのか」と思う作品があった。あえて雑誌に色を付けず、様々な作風の漫画を受け入れ、才能をはぐくんできた器だったのだ。

トークイベントは24日午後に開催された。当日、開場前から待ちきれないファンが列をなした。秋田県大曲市など地元ファンだけでなく、夏休みを使って東京など遠方からきた人も多かったようだ。観光を兼ねてなのか、家族連れの人もいた。

全国から集まった人々が今か今かと開始を待ちわびる

全国から集まった人々が今か今かと開始を待ちわびる


IKKIは2000年11月、「週刊ビッグコミックスピリッツ」の増刊号として創刊された。「コミックは未だ黎明期である。」というスローガンをかかげ、新人発掘のほか、ベテラン勢のエッジの効いた短編を掲載した。
当時、多くのマンガ雑誌が「少年」「少女」「青年」「子ども」などターゲット読者を性別や年齢でカテゴライズしていたなか、徐々にその枠を取り払った雑誌が登場し、IKKIもそのひとつだった。そして2014年9月発売の11月号で14年間の歴史に幕を下ろす。

日本橋先生、オノ先生のほか、IKKI編集部のメンバーも登壇。奥から江上英樹編集長、湯浅生史編集長代理、豊田夢太郎担当編集

日本橋先生、オノ先生のほか、IKKI編集部のメンバーも登壇。奥から江上英樹編集長、湯浅生史編集長代理、豊田夢太郎担当編集


立ち上げから今まで編集長を務めたのが、江上英樹編集長。創刊の狙いを「社内のほかの編集部にいた若手編集者に自分が面白いと思う作品を作れる場所を提供したかった」と話した。
創刊時のIKKI編集部メンバーは、ほかの雑誌の編集部からのやりたいと手を上げた編集者たちだ。日本橋先生をIKKIの創刊メンバーに加えた編集者もその1人だった。

原画展で展示されていた創刊号

原画展で展示されていた創刊号

 

G戦場ヘヴンズドア」誕生秘話

日本橋先生は2000~03年、「マンガ家マンガ」の名作のひとつ『G戦場ヘヴンズドア』を連載した。

――豊田 どのように声をかけられたのでしょうか
――日本橋 前作(『極東学園天国』)を読んだ編集さんから誘われて。前作が別の出版社で打ち切りになり、次だめならマンガ家をやめようと思っていました。次は別の出版社で描こうと思っていたところ、励ましてくれたのがその編集さんだったんです。作品を好きでいてくれた期間が長かったので、賭けてみようかなって

日本橋先生が連載にあたって選んだテーマは、マンガ家マンガ。結果として生まれた『G戦場ヘヴンズドア』は今でもこの作品を読んでマンガ家を目指す人がいるほどの不朽の名作。「これを読んでIKKIに持ち込みに来た若い人も多い」(豊田さん)。日本橋先生本人としても、ラストチャンスという意気込みとともに、創刊メンバーとして雑誌を支えるという意識も強かったそうだ。

――日本橋 『G戦場ヘヴンズドア』はアンケート結果もよく、読者に受け入れられたと思うと、安心して描けるようになりました。最初の成功体験をもらえたのが、IKKI。今『少女ファイト』が描けるのも『G戦場ヘヴンズドア』があったからです

オノ先生、短編から雑誌を支える連載執筆へ

オノ先生は、2005年からIKKIで短編作品を発表し始めた。
2006年満を持して『さらい屋五葉』の連載をスタート。読者にとってはこの作品で“オノ・ナツメ=時代物”とのイメージが強くなったかもしれない。だが実は当初“舞台は江戸時代か現代イタリア”かで迷ったという。担当編集者と相談のうえ、舞台を江戸に決めた。これについて、江上編集長はどう思ったのだろうか?

――豊田 当時としては、唐突に時代物が出てきましたが、どう思いましたか?
――江上 新しいほうがおもしろいじゃんという感じ。反対した覚えはなかったですね

この江上編集長の感覚が、最初から最後まで「IKKIっぽさ」を決めることになる。

江上英樹編集長という存在

IKKIっぽさ」は、創刊からいままで編集長を務めてきた江上英樹編集長の感覚によるところが大きい。マンガ雑誌で10年以上同じ人が編集長を務めるというのは、少なくとも小学館内では珍しいことだという。マンガ家たちは、そんな江上編集長をどうみているのだろうか。

――日本橋 すごく勘がいいと思います。「絶対こうじゃなきゃ」というのがなくて、「いいじゃない」と言えるのは、すごいこと。インスピレーションで「いい」というのは大切なんですよね。
――江上 少し泣いていいですか(笑)

多くのマンガ家をひき付けたIKKIとは結局何だったのだろうか。それは、江上編集長の「いいじゃん」というフラットな姿勢で、数々の才能が発表される場を作ったことではないだろうか。

14年間のうち後半は、アニメになる作品も出てきた。オノ先生の『さらい屋五葉』もそのひとつ。「アニメ化→単行本が売れる」というのは雑誌にとって有効なマネタイズのひとつ。だが、IKKIを支えてきた編集部には、それだけでは不十分という意識があるようだ。

―江上 今「マネタイズ」を合い言葉に、(どのように収益を維持するかを)シビアに考え始めています。映像化されてもメリットがない場合もあるのに、そういう路線を目指しがち。雑誌から単行本、映像という展開を支えにして黒字化するのは難しくなってきています。出版社も編集部も変わらざるをえないです。

「大往生」と言ってもらえる雑誌、IKKI

IKKI編集部の豊田さんは休刊の理由について「ほかにIKKIっぽいライバルが増え、負けたのでは?」と指摘したが、日本橋先生はこれに反論した。

――日本橋 IKKIは大往生だと思ってて、むしろ好き勝手にやって、よくもったな、と。こんなに自由な雑誌はなくて、逆にちゃんとしないと、と思わされました。「これはやらない」とか自分でルールを設定しないといけなかったですね

休刊にあたり、IKKIは7月25日発売の9月号で、連載中の作品がそれぞれどうなるのかを明らかにした。一部作品は小学館の別の雑誌で連載が続き、加筆のうえ単行本が発売されるものも多い。単行本「IKKI COMIX」の発売も当面は続くという。

江上編集長はトークの最後、「IKKIがトリガーになって飛び出した何か。それは確実に存在します。それをもっと面白いものにむかわせるようにすることは約束したい」と話した。この言葉の通り、これからの各編集者に期待したい。

同人誌即売会コミティア」での出張漫画編集部、編集長の1日書店店長就任――編集だけでなく販売でも様々な仕掛けをしてきた「月刊IKKI」編集部。トーク&サイン会とあわせ、その最後にふさわしい最初で最後の文化祭だった。

[取材・文=bookish(マンガナイト)]


▼今後IKKI関連企画
えすとえむ×青野春秋×江上英樹トークショー~それでも「コミックは未だ黎明期である」のか?~
http://www.kyotomm.jp/event/evt/ikki20140913.php
日時:2014年9月13日(土)午後1時~3時
会場:京都国際マンガミュージアム

IKKI TO THE NEXT STAGE!! 北九州編」
http://www.ktqmm.jp/kikaku_info/5609
日時:2014年9月6日(土)~9月28日(日)
会場:北九州市漫画ミュージアム

▼関連リンク
IKKI公式サイト http://www.ikki-para.com/

TIFF2014 庵野秀明監督記者会見!『第27回東京国際映画祭』

TIFF2014 庵野秀明監督記者会見!『第27回東京国際映画祭MangaStyle.ch
10月23日(木)~31日(金)に開催される「第27回東京国際映画祭」にて、 特集上映『庵野秀明の世界』の開催が決定!
本日映画祭上映に先駆けて行われました庵野監督本人の記者会見会場の様子の一部をManga Styleも編集部がレポート!

「manga-style」 http://manga-style.jp/press/?p=16333


「あいこのまーちゃん」やまもとありさが赤裸々に語る漫画履歴書

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今回の赤鮫が行く!!は、クラウドファンディングサイトFUNDIYにて「あいこのまーちゃん」プロジェクトを立ち上げられたやまもとありさ先生。連載開始2日前に中止の憂き目にあったという話題が先行しがちですが、漫画家としての力量は作品を見ると一目瞭然です。そんなやまもとありさ先生とは一体どんな人物なのか?漫画に目覚めた小学校時代から暗黒の中二病時代を経て、上京に至るまでを私がインタビューしてきました。それではどうぞ!

小学校の時はいっぱい連載持ってましたね(笑)

漫画はいつから描いてたんですか?
やまもとありさ先生(以下、やまもと――小学校1年ぐらいからです。

 

ずいぶん早くから描いていたんですね。影響受けた漫画とかありました?
やまもと――のむらしんぼ先生の「つるピカハゲ丸くん」とか、小林よしのり先生の「おぼっちゃまくん」とか下品なのが好きで、それを真似して漫画を描いてました。

 

子供のときって下品なの好きですよね(笑)その頃はどんな漫画を描いてたんですか?
やまもと――あの当時NHKでやってた「アリス探偵局」というアニメがあって、私の名前が「ありさ」なんで、それをパクった「ありさ探偵局」ってタイトルの推理漫画を描いてました。ノートに1ページ1コマで、名探偵コナンみたいに謎を残して、後半に答えページを用意して、この推理の答えはこうです!みたいな。

 

ええっ、そんな本格的なのを描いてたんですか!!
やまもと――えへへ、それを貸し出してクラスの友達にも読んでもらってました。そのうちに友達を主人公にした漫画を描いたりして、『金田一少年の事件簿』が流行ってたんで、武ちゃんって言う友達を主人公にして『武田一少年の家計簿』とか。

 

わははは、それは受けたでしょう?
やまもと――凄い受けました、クラスのみんなから「僕も、私も描いて!」みたいな感じでいお願いされて、そんときはいっぱい連載持ってましたね、ふふふ。

 

それは人気者だったでしょうね!
やまもと――でも5年の時に事件が起きたんです!!隣のクラスに凄い漫画が上手い子が出てきて、私は1ページで1コマだったのに、その子はコマを割ってスクリーントーンとか使ったりしてるんですよ。「ヤバい!!ちょー上手い!!」と思って、私もコマを割りをはじめました。

 

良い刺激を受けたんですね!でも、そのライバル的な子がいなかったら漫画に対するテクニックは遅れていたかもしれませんね?
やまもと――そうかもです、そのときの私の中にはコマを割るって感覚がなくて、ペリー来航じゃないですけど黒船が現れた感じだったんです。その子とは隣のクラスだったので一切しゃべったこともなかったんですけど、陰ながらライバル視して、すれ違うときとかに「この子か!」みたいな。

 

向こうは知ってたんですかね?
やまもと――私のことは知ってたとは思うんですが、今でもこんなふうに言われてるなんて思ってないと思います、ふふふ。本当に良い刺激を受けました。

 

中学時代はどうでしたか?
やまもと――暗黒期でした。中学生の時って病むじゃないですか。

 

いわゆる中二病ですよね(笑)まあ、いろんな病み方があると思うんですけど。
やまもと――自分はなんてダメなんだろう的な・・・。

 

ダウナー系だったんですね。
やまもと――はい、中1のときは漫画描いてると男子からオタク扱いされたりもしましたし、運動をしたことがなかったので「やんなきゃ」って衝動にかられて体操部に入部したんです。けどめちゃめちゃキツくて…とにかくそんな愚痴を全部漫画にぶつけまくる時期でした。何かに追い詰められてる主人公を自分に置き換えてひたすら叫んでるみたいな。

 

かなり病んでたんですね(笑)
やまもと――痛いですよね。暗い話ですいません(笑)

 

高校時代はどうでしたか。
やまもと――漫画は読んでたんですけど、描かなくなっちゃったというか、描けなくなっちゃんです。描きたいものがなくなったというか、生活にゆとりが持ててたんですよね。小学生の頃からの漫画家になりたいという夢はまだあったんですが、ちょっとだけ脱線してみようと思ってバンド活動をはじめたんです。

 

また全然違うジャンルに進みましたね。
やまもと――高1の時に初めてライブハウスに行ってハマってしまって。「私もライブしてぇ~」って思い、ギターを覚えて曲を作って、友人と路上ライブをしてました。それまでは漫画で表現欲求を発散してたんですけど、描かない分の欲求を音楽で発散してましたね。漫画は描いてなかったんですけど、高校が美術系の学部だったので油絵を描いていて、小さいながらも展覧会とかもやってました。

 

高校のときは漫画には接していなかった割に、良い環境にいたんですね。
やまもと――漫画の為に心の旅に出ていた感じです。

19歳でスキンヘッド、そして上京

それで19歳の時にスキンヘッドにしたとか?
やまもと――はい、ふふふ。お酒で失敗したり、色んなことを飛ばしすぎてブレーキ効かなかったんで、ちょっと落ち着こうと剃りました。

 

えーと、自分を戒めるためですか?
やまもと――戒めの為に坊主ってベタすぎますけどね、ふはははは。後先考えずにやったんで、バイトとかクビぎりぎりだったこともありました。

 

女の子で坊主はねえ(笑)バイト先にはなんて言われたんですか?
やまもと――飲食店のホールではズラをかぶってと言われたり。カッコイイからそのままで良いじゃんって言う店長もいたり、パン屋さんでは髪の毛が落ちる心配がないので帽子をかぶらなくてよくて楽でしたね。メイドバーはズラかぶってやってました。

 

いろいろやってたんですね!
やまもと――4つかけもちしてました。高校出て1人暮らしを始めていたので。東京に行きたいと思ってたんですけど、バンドやってるんでいくら働いてもお金が全然たまらなくて、20歳の時にバンド辞めて21歳で上京してきました。

 

東京には漫画家になるために出てきたんですか?
やまもと――このまま高知にいたら漫画家になれないと思って。ただ、東京に行ってもまた音楽を始めるような気がしたので、やらないように漫画の専門学校に入学しました。

 

自分自身がブレないようにですか?
やまもと――はい、そうです。専門学校の周りの子達は18歳ぐらいでみんな上手くて「負けれねぇ!」と思ったんですけど、学校は1年で辞めちゃいました。

 

えっ、なんでですか?
やまもと――入学してしばらく経って、アシスタントに入ったんですが1回入ったら「めっちゃ学べるじゃん」って思って、「じゃあ辞めちゃおう」って。


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思い切りましたね~、そのあたりを詳しく教えてもらえますか?
やまもと――高校の時から少女漫画を読むことが多かったので、少女漫画家になるんだろうなと思ってたんです。専門学校に入って在学中にデビューするぐらいの勢いで頑張ろう!と思ってたので、入学後すぐに1本仕上げてフリーの編集もやってる学校の先生に見てもらいました。だけど「これ少女漫画じゃないね、青年誌向きだね、モーニングとかいいんじゃないかな」って言われて、すぐにモーニングに持ち込み行って。それは2次選考で落ちちゃったんですけど、そのあとに「ちばてつや賞」の佳作(2010年第58回)をいただいたんです、えへへ。

 

凄いですね!
やまもと――そうだ、その前に「黒潮マンガ大賞」(高知新聞社主催)がありまして、第21回(2009年)に応募したら準大賞もらったんです。審査員の方が、くさか里樹先生と西原理恵子先生とビッグコミックスペリオールの副編長の八巻和弘さんで、八巻さんにはそれから漫画家になる指導をしていただいて…「ちばてつや賞」も八巻さんの指導があったから取れたようなものです。

 

それからはどうしたんですか?
やまもと――佳作をいただいてからが地獄でした…。即連載しましょう的な流れだったんですけど、読み切りすら描き慣れていない状態なのに、連載ネームを描いてはボツの生活が2年間ぐらい続いて、漫画がぜんぜん描けなかったんです。

 

漫画に携わってるのに楽しくない日々だったんですね。
やまもと――漫画って何が面白いのか分からなくなっていました。ヤングマガジンヤングジャンプにも持ち込みに行ったんですけど、もっとわからなくなってしまって…そのときに知り合いが「コミックゼノン」に載ったというので買って読んでたら「マンガオーディション」というのをやってるのを知ったんです。

 

喜怒哀楽をセリフなしで表現するやつですよね?
やまもと――そうですそうです、セリフもないので2週間ぐらいで描いて誰にも言わずにこっそり送ったら、第16回で賞をいただいて。それでなにか胸がスッとしたんです。実はそれが雑誌のデビュー作でした。「よっしゃゼノンで頑張ろう」と思って、そのあと春に1本読みきりが載って6月から連載みたいな、トントントーンって、一気に・・・。

 

行こうとしてたのに・・・、ってことですよね(笑)
やまもと――えへへへ、そうなんです(笑)

 

その『あいこのまーちゃん』の話ですがアイデアはどっから出てきたんですか?
やまもと――普段は漫画描こうとするときって、映画や小説、漫画から得たアイデアで料理しようと思うんですけど、あれはパッと降りてきたんですよ。買い物帰りに道歩いてたら頭の中に「あいこのまーちゃん」って。

 

それはタイトルがですか、それとも…。
やまもと――タイトルとフォルムも思いついたので、「あっ、これいいな、これ描こう」と、ちょうど横にあったモスバーガーで買い物袋抱えたままネーム描いて「これ面白い!!」って出来ちゃったんで。別のネームも考えてたんですけど、打ち合わせの時にこういうのもあるんですけどって出したらめっちゃ受けてくれて、これで行こうって決まったんです。なので、思いつきです。ふふふ。自分の中に蓄積されていったものが「プリッ」て出てきました。

 

「プリッ」と、まーちゃんが来てくれたんですね(笑)
やまもと――えへへへへ、そうかもですね。なんか1個面白いアイデアが思いついても、そこから面白いお話を作ろうとすると、やっぱり自分が日頃から見てきたものからひねり出さなきゃいかないので。でも、『あいこのまーちゃん』は何も参考にしてないので逆に怖いなと思ってます。

あのコマ以上のインパクトも用意している!?

ひねり出すといえば、あの1話のまーちゃんが血を吐いてるコマはめちゃくちゃインパクトありましたが、今後の展開であれを超えるものはないですよね?
やまもと――え~と・・・・。

まさか、あるんですか!!
やまもと――えへへへへ。

恐るべし、やまもとありさ!!あのシーンもページめくってあれだったからビックリしたんですよ(笑)
やまもと――やった!大成功です!!本当はあんなに血は出ないですけど、ふふふふ。今回はいろんな方の意見が聞けて良かったなと思いました。読まれるってこう言うことなんですね。描いてるのは自分なんですけど、意見をみてると流されそうになるんです。


問題の"あのコマ"

問題の”あのコマ”

それってあんまりいいことじゃないですよね。
やまもと――はい。漫画って感想は気にしても、読者の要望には応えないようにした方がいいと思います。諫山先生も、自分のやりたいことを描くことが一番だって仰っていて、その教えに従って今はネットなんかは見ないようにしてます。

調べれば調べるほど嫌な意見も出てきますからね。
やまもと――読者の方の意見を見て私は少なからず影響うけちゃって、セリフとかもちょこちょこ変えようしたことが何度もあったので、それがダメだ!と思って。自分が最初に信じたもので行かないとダメだなと。

ブレちゃダメですよね、やまもと先生の作品なのに他の人の意見が入ってきたら違うものになっちゃいますよね。
やまもと――そうなんです、いろんな人の意見が入ることで当たり障りのないものが出来上がってしまいますから。漫画は純粋に自分だけのもので、フリーでやっている今、自分の意見を通さなきゃって改めて勉強になりました。

あの時の騒動は凄かったですもんね。
やまもと――今ではいろんなことを学べたので感謝してます。

逆にそれを利用させてもらいましょう!
やまもと――はい、思ってもみなかったことなので、だったらこの現状をやりきるしかないですよね。知らせを聞いたときは面白かったですね。「2日前って!」って、爆笑したんです。「こんなことある!?」って。

どうやって掲載が無くなるというのを知らされたのですか?
やまもと――朝起きたら編集さんから着信があって留守電も残ってて。「ちょっとお話したいことがあるんですけど」って、嫌な予感(笑)かけ直したら暗い声で「ちょっと載らなくなりました、後ほど編集長と伺いますので」って。で、シャワー浴びながら笑いがこみあげて、爆笑で。編集長が来るってことは私が何言ってもむりじゃんって(笑)

なかなか大変だったんですね。でも、動じてないやまもと先生も凄いですが(笑)
やまもと――でも、ここからが大変で、掲載する予定だったウェブサイトにも「連載は無くなりました」っていう告知もないし、友人からは載ってなかったけどどうしたの?って連絡がたくさん来るし、これは一斉にみんなに教えなきゃと思ってブログとツイッターで書いたんですね。そしたら凄いリツイートされて、諫山先生からもメールがきて「ブログにやまもとさんのブログをリンク貼ってもいいでしょうか?」とまで言って下さって、嬉しかったです。

それで諫山先生がブログに載せたら…。
やまもと――はい。私のブログに1日30万件ぐらいの観覧があって、ヤフーニュースにもなっちゃって、もうビックリでした。

まあ、それも落ち着いたみたいで良かったです。今までなかったクラウドファンディングという形での取り組みについてはいかがですか?
やまもと――そうですね、立場逆転というか、今まで自分が載せてくださいってお願いしていたことなのに、描いてくださいって言ってもらえるのが初めてでビックリしてます。こんなに人のありがたみを感じたことはないぐらいで、むしろ人となじめないから漫画描いてたのに、これほど人に支えられて漫画を描くなんてないですもんね、これってオマケ人生じゃないのかなと思っちゃってます。

いやいや、これからじゃないですか。
やまもと――そうなんですけど、世に出る予定だった1作目が受けた扱いを考えると、今の状況が幸せすぎて「全力でやらいでか!」そういう気持ちですね。いろんな方が応援してくれるから頑張れますね。

最後の質問なんですが「やまもとありさ」にとって「漫画」ってなんですか?
やまもと――ぷははははははは

僕もこの質問するの恥ずかしいんですから(笑)
やまもと――すいません(笑)プロレスラーの小橋健太選手が同じように「プロレスってなんですか?」って聞かれた時の答えがカッコ良かったんですよ。知ってますか?

う~ん、すいません、知らないです。
やまもと――「プロレスってなんですか?」「いや、わからないです、わからないからやってるんでしょうね。」って。わー、カッコ良いな!これもらおうかなって(笑)

やまもとありさにとって漫画とは?「いや、わからないです、わからないから描いてるんでしょうね」(真似しながら)(笑)
やまもと――ぷははははは、本当にそうですよね、小学校の頃から描いていて、これしかできないので。絵も音楽もやってきたんですけど、それは遊びでしかないので、やっぱり漫画しかないです、描くしかないんです。ふふふふふ、なに言っても恥ずかしいですね。

今日はありがとうございました、「あいこのまーちゃん」プロジェクトの達成と作品の完成を楽しみにしてます!
やまもと――こちらこそありがとうございました、みなさんの期待に応えられる作品を描けるように頑張ります。

上野公園の西郷隆盛像の前でポーズを決めるやまもと先生

上野公園の西郷隆盛像の前でポーズを決めるやまもと先生


実際にお会いしたやまもとありさ先生はとてもユニークでカワイイ方でした。なおインタビュー中に登場した黒潮マンガ大賞準大賞作品の「鏡の国」や、ゼノンマンガオーディションの受賞作品「路上の唄」は今でもWebで読むことが出来ます。「あいこのまーちゃん」以外のやまもと先生作品にぜひ触れてみて下さい。


現在FUNDIYで「やまもとありさ『あいこのまーちゃん』 完成&電子書籍化を目指します!!」プロジェクト始動中!
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